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感動葬儀レポートFuneral-report
阿倉川斎奉閣

あと一年。

「あと一年、親父が生まれるのが早かったら、私たちは、この世に存在しなかったし、この子たちの笑顔も見ることができなかった。」

喪主様はお父様へ生きてくれたことへの感謝の気持ちを込め、最期のご挨拶をされておりました。

故人様は昭和17年(1942年)に海軍飛行予科練習生に志願され、難関試験に合格し、入隊後は霞ケ浦、岡崎、鈴鹿の各航空隊でパイロットの養成訓練を受けておりました。当時の予科練生は勇壮な青年が多く、現代でいうところのジャーニーズJr的存在だったらしく休日になると基地の外には若い女性が弁当を持って押しかけるなど当時の人気ぶりをご長男である喪主様へ楽しそうに語られていたそうです。

通夜前日に打合せに伺ったスタッフから、喪主様がそのようにおっしゃっていたということを聞き、私は航空隊にいたことを誇りに思っていた故人様に喜んでいただけるにはどうすればよいかと考え、お預かりした予科練生時代の故人様の写真とともに、訓練中にも搭乗されてたであろう「零戦」を会場の入り口にお供えすることを思い付きました。私の想いに呼応してくれたスタッフの高橋にもプラモデルの塗装を手伝ってもらい、不慣れながらも二人で故人様のためにご用意いたしました。

喪主様が会場入り口に飾られる零戦をご覧になった瞬間、驚きとともに涙を流されて感激されている姿を見て私たちも胸が熱くなりました。憧れの零戦で大空を舞っていたことを誇らしげに語る当時の故人様の記憶がよみがえってきたのだそうです。

昭和19年(1944年)神風特別攻撃隊として予科練卒業生の大半が海軍鹿屋基地へ配属となりました。故人様の一年上の先輩たちも特攻の搭乗員として出撃し、帰らぬ人となったそうです。あと一年早く生まれ航空隊に志願していたら、あと一年終戦が遅れ特攻で出撃していたら、今日参列している皆は存在しなかった。身代わりとなって命を落とした戦友がいて、故人様が生きてくれたからこそ、今もこうして皆元気に暮らしている。大好きなひ孫さんに囲まれて親父もうれしそうだと、ご家族皆様ご満足いただいているご様子でした。

巡り合う奇跡の連続を経て、私たちは存在しているということを、このご葬儀を担当し学ばせていただきました。

2020年6月3日 山本様(担当:道内・高橋)