阿倉川斎奉閣
あと一年。

「あと一年、親父が生まれるのが早かったら、私たちは、この世に存在しなかったし、この子たちの笑顔も見ることができなかった。」
喪主様はお父様へ生きてくれたことへの感謝の気持ちを込め、最期のご挨拶をされておりました。
故人様は昭和17年(1942年)に海軍飛行予科練習生に志願され、難関試験に合格し、入隊後は霞ケ浦、岡崎、鈴鹿の各航空隊でパイロットの養成訓練を受けておりました。当時の予科練生は勇壮な青...
阿倉川斎奉閣
花が大好きな母。父が育てたシャクヤクの花。

お花が大好きだったお母様のために、ご家族様全員一致でお花の祭壇を選ばれました。
お父様が大工として働いていた頃に、お礼で頂いてきたシャクヤクのたね。
何十年とお母様とお二人でお世話をされ、開花時には20cmの大きな花になるほど愛情を込めて育てられ、毎年花が咲くのを楽しみにされていたそうです。
外出自粛の中で遠方の親族が参列できないため、ご家族様が、「参列できない親族の分も私たちが何かをしてあげた...
阿倉川斎奉閣
飾り続けてきた宝物

お通夜の日の打ち合わせにご自宅へ伺いました。
遺影に使用するお写真を拝見すると、野球ボールを持って映っているお写真でした。故人様が手に持っているボールには文字がかかれており、昔からとても大切にされてきたことがわかりました。
ご家族様に話を伺うと、故人様が高校生の時に春の県大会で優勝した時のものだそうです。このボールはリビングで大切に飾られていました。ボールは転がってしまわないように手作りのボール置...
阿倉川斎奉閣
愛読書

故人様は生前、若いころはソフトボールのキャッチャーをされていたり、年に一回は姉妹で旅行に行くなど、とても元気でアクティブな方でした。
しかし、昨年病に倒れてしまい残念ながら以前ほど体を使って自由に行動することができなくなってしまいました。代わりにもう一つの趣味でもあった読書に没頭され、特に時代劇物をこよなく愛されご家庭にもたくさんのシリーズが並んでおりました。
元気で活発だった頃のことや、晩年は大...